「完走」って実は特殊で非現実的な褒め言葉。
「完走」って言葉がある。とても美しい、素晴らしい言葉だと思う。この言葉に秘められた色々な事を実践したり見たりした人には、とっても意味のある深い言葉。
でもね。
通常の生活をしていたら、この言葉って通用しないわけで。
仕事でも私のように格闘技でもスポーツ全般でも、なんでもかんでも。ソレを最後まで行ったという事実にたいして褒められたり賞賛される事なんてないよね。
仕事も格闘技もスポーツ全般でもなんでも、すべて結果に意味がある。出来なかったら終わり、勝てなかったら終わり、その他色々。
それが現実社会なわけで。
でもね。
走る事、マラソンに関しては「完走」という素晴らしい評価がある。それを行っただけで素晴らしい事になる。胸を張って「完走しました!」と言える。
これは素晴らしい。
サッカーもそうよね。オリンピックも。出ただけで素晴らしいと世間がマスコミが心から言ってくれる?言わないよね。あー負けた、それが一番。オリンピックで出ただけでもすごくて、でも銅なんてスゴイ成績なのに「銅で申し訳ありません」と選手が泣いたり引退考えたり、誹謗中傷を受けるわけ。
あたしの私感で言えば「いみわかんねーよ!」です。
でも、マラソンは「完走」という褒め言葉がある。だから魅せられる人多いんじゃないかな、走る人多いんじゃないかな。
自分でもとりあえず「がんばった!」って言える、言ってもらえる、そういう身近な行為で場所で、交流の場だもんね。
私はプロ格闘家の時にずーっと負けてた。負けたら終わり、意味がない。どんなに進化してても苦しいトレーニングや練習しても負けたら終わり。相手が弱いとか強いとか関係ない。全ては戦績。
だから。
もしかしたら心の奥底のどこかで。なにしても駄目で出来なくて、最低な私が、ちょびっとだけ、頑張ったよなって思える場所なのかも知れない。なにしても駄目な私が少しだけ自分を心から褒めても誰も悪く言わない場所。
だから走るのかな。走るの大嫌いなんですけどね。マヂで。
そんな事を思った、24hマラソン明け、そして42歳2日目の夜でした。
↓明日の自分弁当。舞茸の炊き込みご飯・とりつくね・ただのブロッコリー・大豆とヒジキと油揚げのシンプルな煮物。
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