誰かを、何かを救うという事。

誰かを、何かを救うという事。

誰かを、何かを救うという事。

これって、ぶっちゃけ偽善通り越して、自分のエゴと言われてもしょうが無い。
でも、そうしたいと思った時に、動いてしまう人の「心と想い」というものがある。

人それぞれ同じ対象に対して思っても、人それぞれ同じ対象に対して違う想いがある。

そして一番やっかいなのは、何かを、特に、正しいと思われる事をする時に、そういう事に対してアレルギーを起こす部類がいる。

なぜなら。

自分がやりたくてもその勇気がなかったり、逆にそういう事を利用して自分の存在を強調したかったり。正しいと世間的に思われる事に対して壊したくなったりする人がいる。そうする事で自分の力を感じたいの。

わかりやすい目立つ事を否定する事によって、自分の存在をアピールする。

芸能人の批判とか、慈悲団体とか、そういう事に目の色変えて食いつく。

わかりやすいから。

たとえばなにかイベントがあって、それが自分の主張によって流れたら。自分にはそういう力があるんだってその人の自慰行為。それが嬉しいからそういう事を狙う。

ある意味かわいそうな情けない人。そして寂しい人。本当は自分も仲間に入りたい人。

こういう人はどんな事にも現れるから、とても難儀で、なんていうか面倒くさいわけで。まぁ仕方無い。

あとは。何かをしようとか、特に誰かを救おうとか、でっかい事になると色々問題がある。

まずは全てを救えない。

でもね。だから何もしないのは私はイヤだ。目先でもいいからその1歩をやりたい。ちっぽけな1人でも出来る事ってある。そして、やれば必ず批判されても乗り越えて乗り越えた先になにかが残る。成功にはそれなりの試練と代償が必要。私は総合格闘家時代に、そして今も格闘技にそれを教えてもらった、今ももらっている、進行形。

世界を救うことなんて1人でできないし、呼びかけても無理。だけど、ほんの目先でも1人1人が乗り越えて頑張っていけば、私が死んだ100年後には救うことが当たり前の世の中になってるかもしれない。想いをつないでいく作業は生きることの大切な意味だと思ってる。

大切なのは信念。そして自分の自分たちのやることを信じる事。結果がでなくても信じ続ける事。それが「信念」。

このパンチあたるかな?無理でしょ?と思ってパンチなんかだしたらやられちゃうよね。でも、信念をもって自然に出たパンチは避けられたとしても必ずなにかのダメージを残せるの。

上手く説明できないや。でも。

そう信じて。私は生きていたい。