彼女がいたから。

彼女がいたから。

覆面女子レスラーRay.

彼女との直接の出会いは、多分2013年。
ケルベロス道場での「クズプロ」。そこへ彼女が遊びに来ていました。そして試合後、ハマノさんだったか、誰かに「SAKURAと話がしたいそうだよ」と、呼ばれました。

私は彼女の事を知っていたので、そんなスゴイ女子プロレスラーに名指しで声をかけられるなんて。私なんかしたか?(笑)とビビりつつ、ご挨拶をさせていただきました。

その時彼女は、満面の笑みで「あなた面白い!すっごく面白い!しかも(年齢の割に)足すごく綺麗!!!!最高!」と。

ビックリ。

で、その後。2014年の1月19日。新木場での彼女の自主興行へのオファーをいただきました。

しかもその内容が、覆面レスラー対素顔レスラーの負け残りイリミネーションで、覆面が負け残ったら覆面を脱ぐ、素顔が負け残ったら覆面になる(笑)というもので、しかも、10対5位の比率で、こちらの素顔チームがその5人とかで。で、ボスはダンプさん。

恐れ多くも、初めての私的ビックマッチでダンプさんとチーム。

正直断る勢いでビビリました。

そうしたら、彼女がわざわざ時間を作ってくださり。色んな話しをしたのですが。一番私に突き刺さった言葉が「あなたはあなたでいい。あなたらしいのが一番最高。プロレスの上手い下手じゃない。あなたがあなたであることが大事」と。

「練習すればプロレスの技術は上手くなると思うし、だけど、あなたのキャラクターと良さは、あなたにしか出来ない事。テキトーでいいの(←練習しないとかいい加減という意味ではなくて)。あなたが大事なの。」

もうすごくめちゃくちゃ救われて背中押された言葉でした。

↓その時に彼女が、なんかに使うかも?とシャッターを押して下さった写真。それこそお題は、私らしさですね。笑(某所の駅内スープストックだったかと)


その彼女の興行は。私にとってリングでの初の大舞台。周りもそりゃー応援しなくちゃって、六本木プロレスチームはチームで応援に来てくれたし(この写真の中にも病で旅立たれた方がいます)、飲食店等のポスター行脚も始めて自分でやって、19件の協力をいただきました。

私のプロレス人生で、多分、こんなに私からチケットを購入してくださった方々はいない位。イリミネーションでそれこそ一瞬の為に。

↓六本木プロレスの方々


沢山の愛と出会いと経験値。

そして。

この興行に参戦した事で、私というヤンキー熟女レスラーの存在を沢山の方に知っていただき。その後の活動が大きく変わった切り替えポイント。

彼女が私を見つけ、世に出してくれました。

恩人とおりこして恩人。

その恩をプロレスでお返しする事ができないまま。
最期に交わしたラインの彼女からのパンダのスタンプを眺めながら。

なんだか。途方に暮れてます。

今の私があるのは、今は休止中ですが、ここまで私がやってこれたのは、全てあの時にバンっと押し出してくれた彼女がいたから。

休止中に、引退とか色々考えてました。正直。

でも。

なにかこのままじゃない何かをしないとって、また彼女に背中を押された感じです。

美しく、しなやかで、力強く、愛に満ちた。
女性としても憧れの彼女。

WNCの合同練習で、足を怪我していたので練習は軽く、でもその後はずっとマシンで筋トレしていた彼女。それも楽しそうに。

今だから書けるし思い出すけど、彼女やタジリさんやデビュー前のコハルちゃん&カホちゃん、パンテーラさん、ライオンさん、マコトちゃん。それが今は無きあの地下で、皆が一緒に練習する中に居たあの時のこと。その時本当にあの空間で、沢山の事を教わりました。

あの時の皆が、今はそれぞれ色んな方面へ。でもプロレスの世界は共通。なのに彼女だけ急ぎ足でまだ私達が届かない世界へ飛んでいっちゃった。

ズルイのはカッコよく美しいまま、飛んで行ってしまった。

プロレスで大先輩なのに最後の最後まで私を「SAKURAさん」と呼ぶ彼女。年齢だけでそう呼んでくださる彼女。憧れの素敵な女性。

もっと早く何かの形で恩返ししたかった。

でもどんな人にも、皆にチャンスと力を愛を与えてくれてきた彼女。それを、やってあげてるとかじゃなく、素で、自分でめちゃくちゃ楽しんでしまってた彼女。

気がついたら、一緒に取った写真無かった。

本当に本当に。なーんもない私が今までSAKURAで来れたのは、最初の最初で私を拾った彼女がドカーンと背中を押してくれたから。

最期のその時。愛する人が側にいてくれましたか?
きっとそうでありますように。
旅だった今も、ちゃんと愛があってプロレスがあって、もちろんお酒もあって、苦痛だけは無い。そんな場所で楽しく過ごせますように。

今やっとこうして文章で、ちゃんと伝える事が出来ました。

あなたが私を見つけてくれたから。私は今こうして生きてる。
ありがとうございました。

↓以下、2014年の1月19日の新木場での写真を何枚か。