無宗教だけど少しまじめな話しとか。
私は基本無宗教です。
むしろ、宗教と呼ばれるなにかが、一時期、憎い位でした。
というのも。
子供の頃、我が家は虐待家庭でした。特に弟はそうでもなくて。私はものすごく父親に殴られたし、「はい」「わかりました」「申し訳ありません」以外の言葉を基本的に口にした事が無い。
「お前は牛や豚と一緒で殴らないとわからないんだ」が口癖の父。
浮気も酷かったけど、母はそれに耐えて。耐えすぎて方向が曲がって。
で、母は新興宗教へ。
私達子供も勝手に入信させられていて、第二の虐待。「祈らないから殴られるんだ」「私の言う事が聞けないなんてナマイキだ」「拝まないから駄目なんだ」と。
一時期小さな抵抗で、同じスカートを毎日はいていたら、ある日たまたまズボンで登校して帰宅したら、庭に、ハサミでズタズタに切り刻まれ、半分燃えたスカートが落ちていました。母は、「私の言う事を聞かないから(当たり前でしょ?な感じで)」
子供心に、「あぁ。この家は終わってるんだな」と思った、そんな小学校3年生。
その後の3年生から4年生あたりの記憶が未だにスッポリ抜けてます。写真見ても思い出せない。
また、殴られて顔にアザが毎日のようにあるので、学校でも「気持ち悪い」とイジメに。一時期は担任の先生まで一緒になって。
悲惨な子供時代。
だから宗教は私にとって悪だった。
でも、大人になって。神棚を祀るようになった。
これは、宗教というより、今吹いている風や、流れる水や、青い空や、そういった自然の物に感謝を。また、氏神様は、ずっとその土地を守る神。その地へ他から入り込む私達は、それこそおじゃまいたします、お願いいたします、の気持ちが無いとそこで生活できないよなって思うから。
それに、何故か住むとこ住むとこ、近くに神社があって、それがたまたまだけれどその地の氏神様だったりして。
そして鳥居をくぐるととても落ち着く。空気が世界が変わるのね。私にとって。
そして今の氏神様の宮司さんがとても良い方で。何ヶ月か前、私に明日はもうないのではないかと、本当にギリギリの状態の時に話をきいてくださり。で、
「(神道の)わたしがいうのもおかしいですが、ご先祖供養をなさったらどうでしょう?」と。たとえばこの近所なら、お地蔵様とかはとても(心が)広くて優しいので、よいのではないでしょうか?と。
たしかに。ご先祖様が存在したわけで、その存在があるから私がいるわけで。そしてご先祖様はもちろんこちらの世界にはいない。
あちらの世界にいるご先祖様を供養しようと思ったら、そりゃーその道のプロにお願いをしないといけないわけで、で、お願いしっぱなしもアレなんで、わたしも自らご先祖様に感謝の気持ちを伝える努力をしなければならん、と思って。
で、家から近い、とげぬき地蔵尊で事情説明をして(両親がどこにいるかも不明で双方のお墓もどこにあるか解らないし、宗派すらわからない)名前だけでも出来ますと、両親両家のご先祖様供養をお願いし。帰宅後、自作神棚の下にもう1枚棚を増設してプチ仏壇を。
↓部屋が狭いし悩んだ結果、神棚の下に増設してこんな事になった。笑 ちなみに材料はダイソー。
基本無宗教なので、ニュートラル的に曹洞宗方式にして、お釈迦様を真ん中に、私の守り神の千手観音(18歳の時色々あって、守り神の千手観音を意味する梵字のキリークのタトゥーを足首に入れてます)と、地蔵尊のお地蔵様と、以前勤めていたインド料理店のインド人に頂いたガナパティ(ザックリした説明になりますがガネーシャ神とも言って学びの神様でもある&日本では「 歓喜天 」とも呼ばれている)も一緒に。
毎日朝晩、お線香とお釈迦様、千手観音、お地蔵様にお唱えして、ガナパティにも簡単なマントラを。このマントラについてはインド人というかネパール人に教わった(彼女はネパール人なのでガナパティー信者)マントラで、お釈迦様の「南無釈迦牟尼仏」と意味合いが似ていて、「 オーモ ガン ガナパティエー ナマハ/群衆の主であるガネーシャ神に帰依いたします 」というもので、なんか仏教というデッカイくくりで見ても、色々違いはあれど原点は似たようなものなんだなぁとか。
で、話が少々それたわけだけど。
別居を機にこの地へ来て、離婚して本当にババアが一人で生きて行く事の難しさを身体に切り刻みながら、でも何かに呼ばれてこの地へ、何かが私を結果救うためにこの地へ呼んだのかなって。
そして宮司さんに引き合わせた。
宮司さんに、「とりつかれたり、なにかがあると鳥居はくぐれません。鳥居をくぐれて、こうして必要な時に私に出会うという事は、ちゃんとまもられてるんですよ」と。「守られててこのレベルなんですかっ!?」って聞いたら「守られてなかったらもっと大変でしたね。笑」だって。爆
その宮司さんが神道ではなく仏教でのご先祖供養を私に勧めた。きっと宮司さんには見えたり聞こえたりしてたんでしょうね。ご先祖様が「この子に伝えてっ!」って。
だって両親ともに、特に父親は再婚してるはずだし、母親は新興宗教だしで、きっと双方のお墓参りなんてしてないだろうし、放置されてる状況なんだろうなって。そしたらそりゃー聞いてくれそうな私に災いとしてアレコレ降りかかって、早く気がついて!ってなるんだろうなって。笑
今は。毎日の当たり前だと思える事が本当は当たり前ではないかもしれないと神棚に感謝し、そして仏壇でご先祖様に感謝をする。
この数分の時間が私の生活を180度変えて、考え方もかわって。一所懸命生きていてそれでも無理なことは神様仏様にぶんなげちゃえって。
「なんとかしてくださーい!」って。
だって自分がどうしても無理なことは、私に無い力に頼むしか無い。
私はずっと神社も全て神と名のつくものには「お願いをしてはいけない」と思ってきたのね。感謝はしてもお願いをしてはいけないと。でも宮司さんに「辛い時はバンバンお願いしちゃいなさい。お地蔵様あたりは優しいし、お釈迦様もちゃんとお願いきいてくれますよ。遠慮しないでお願いしましょうね!」って。
もう気が楽になったよねー。頑張って頑張ってもどうにもならないことはもう諦めて神頼み。そう思ったら、もうちょっと頑張れるし、なんかあとは頼みましたーって気が楽に。
神様が出来ない事は当然ただの人間の私に出来るわけがない!と開き直り。笑
そんなこんなで。仕事もキツイし、毎日生きていくだけでヒーヒーだけど。それでも前向きに進めてる。
そしてお陰様で今日も生きてる。
今日も明日も生きてればそのうちきっと良い事もある。そう信じて。
手を合わせるというのはとても大切な事だなって改めて。
お金は無くても感謝だけは心に、沢山沢山詰め込んで生きて行きたいです。
↓お彼岸なので。ぼたもち作って仏壇へ。
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