あれからもう少しで1年。
去年の5月6日。
きらぷろでのチャンピオン中森華子さんとのシングルマッチ。
あれを最期に無期限のプロレスラーとしての活動休止に入りました。
一番の原因は自分が生きて行く為の環境を整える事。
だけど。
去年の今頃。中森さんとの試合の事でナーバスになったや、年齢的な事もあり失業期間が長くなった事、精神的に限界だった事、色んな事が重なって、最悪な時期でした。
正直もうこの世から消えちゃおうって思ってたのも事実。
だけど。
中森さんと試合をさせていただき、そんな贅沢なタイミングで活動休止を。いろんな事情で公表出来ず、中森さんには本当に申し訳ない休止の伝え方になってしまった事、本当に申し訳ありませんでした。すごく心配していただいた。
同時に首のヘルニアもどきなど。体調に関しても今から思うとこの1年。自分に必要な時間だったのだろうと。
経理に復職できず 、本位ではなかった 半ばやけくそで応募したアパレルの手積み手下ろしの過酷な2tトラックドライバーに就職。無職期間にめっちゃ勉強して簿記も取得したのに。何故って感じ。泣笑
そして出来るとは到底おもえなかったけれど、もう局地で、出来るか出来ないかじゃなくて、やらないと生きれない状況。だからやるしか無かった。出来なくてもやるしか無かった。
そんなこんなで。苦しい時期も乗り越えて気がついたらあと約2ヶ月で入社1年。
人間てすごいのが、入社してあの地獄の日々と夏で8キロ痩せたのが、同じ仕事してて冬になると4キロ戻った。
ごいすー。爆
なんていうか。本当に格闘技とプロレスをやってきて、こんなに人生に役に立った事は無い。この精神は何事にも立ち向かえる精神だと改めて。
体力的な事もそうだけれど、努力しようとしても出来る事じゃない事を、根性と体当たりだけでここまでやってきた。
ホント。「がむしゃら」な1年だった。
でもね。今までどんな仕事も頑張ってきたつもりだったんだけど、こんなに毎日1日1日を「今日も乗り切った、生き残った!」という毎日を約1年を過ごしたのは、今年47歳になるけど多分人生初レベル。
毎日毎日、自分に生存確認&報告みたいなね。
トラックの運転自体が実は好きだった事が救いだけど、トラックという恐ろしいものを運転しているという気持ちは日々変わらなくて、事故起こしたら(自分が原因じゃなくても)誰かが死ぬし、大変な事になるし、毎日毎日そのプレッシャーとストレスは尋常じゃ無い。
だけど、やるしかないんだ!でここまできた。
ほぼ同時に始まった消防団の仕事も。プロレスに絡んで救急救命の講習更新から始まり。新人ながらも地域貢献に参加できたり、トラックドライバーの立場で緊急時なにができるかな?とか、格闘技やプロレス以外の日常での状況消防団員としての対応を学んだり考えたり。
とても成長できた1年。そして、ギリギリだけど普通に近い生活を取り戻せた事。
今は毎朝コンビニで余計な物を買える生活が出来るようになった。遊びに行ったりとかの余裕はあまりないけど。でもすごい成長だよね。
本当に必死に生きてるなーって、他人事のように自分を見て、だからこそこの約1年やってこれた、乗り越えられた。
そして。
沢山の周りの応援、励まし、サポート。
前までは私が皆に元気を放出する立場だったのに、この約1年は周りから沢山頂きました。愛を。
感謝しかない。
次は。この先は。
新たな私の人生を自分に問う時間。
前にもっと進まなきゃ、なんだ。
まだまだ人生で闘う相手は途切れないんだ。
↓2018年5月6日。中森華子チャンピオンとの試合後。人生の中で絶対忘れない瞬間です。
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